ドラゴンの瞳5

建築家が作品をつくる場合は、「建築を計画する」という最大の責務があり誠実な人柄でなければ厳格な教会建築計画は難しい。ましてや建築特性から寄付に頼る事もあり、計画者の献身性がなければ計画は進まないという事も理解できる。ガウディのようにサグラダ・ファミリア教会建築に生涯を捧げるという献身性は、宗教というより父親譲りの職人気質が建築に転化したようにも思える。彼の学生時代のバイト先であったエドワルド・プンティ工房による経験も含めて、物作りへの好奇心と精神性は揺るぎない創造の骨格形成となっていたことにもなる。しかも図面より模型を中心とする作業は、その裏付けになる。ガウディは、限りない創造性を発揮できる場として教会建築に専念し、生活の一部としてその環境を謳歌していたとみることもできるのではないだろう。
しかも建築に専念していたということは晩年になって教会に閉じこもる行為からも裏付けされる。
別の見方をすれば高齢による肉体的な衰えもあってかグエル公園との往復を毎日することもできなくなり教会建築の技術的な問題が山積みにされた状況下で少しでも解決策を残そうとしていたガウディの緊迫した思いが読みとれる。
さらに彼が唱えていた「理想的なゴシック建築の追求」から、あまりにも繊細な配慮と頑固なほどの構造探求が、建築に反映されているということは決して間違いではない。
ここで示している「理想的な」という概念は実現性のある洗練された最高峰の計画に従った目標を意味している。その意味ではいい加減で中途半端なデザインや計画は許せないということになる。

ガウディは会話の中で「建設的なものは報酬によるものではない。献身無しでは何も良いものができないことは周知のごとくであり、献身は“無我”になることであり報酬はない」という言葉を残している。ガウディ自らも肝に銘じていたことであり自ら実践していた。しかも狂信的信者だったのだろうかと思うくらいに質素であったこと知られている。
それほどの境地に達していなければあのサグラダ・ファミリア教会のような繊細にして巨匠の巧みをみせてくれるような建築には至らなかったということになるだろう。
彼の倫理的言動と自らの行動はむしろ自然主義を主張するガウディの中で十分に融合され教会建築計画に対する周波数が同調していたのではないだろうか。さらに私生活では彼の持病であった間接リュウマチを監理しながらより節制と規則正しい生活を営むことに努めていたことはガウディの協力者であったホワン・マタマラによって記録されている。
他に彼の話し相手となった人たちの証言からも人間ガウディの日常生活の輪郭を浮き彫りにされている。

ガウディに関わる幾つかの本に目を通してみた。すると彼の性格に深く入り込んだ話というのはセサール・マルティネールやホワン・ベルゴス、ホワン・マタマラの未発表のエッセイに集約されている。その理解をせずしてガウディ建築のメッセージを読み取るというのは至難の技である。
歴史的建造物から作家の倫理までも理解するのは複雑怪奇であり予備知識の他にも現場での経験と関係者達による直接的な情報でもないかぎり建築論理の裏付けは難しい。ではその難しそうに思える作品を通して作家のメッセージを読む時にどんな手段が考えられるのだろうか?