ドラゴンの瞳4

ここでまたガウディの手記を覗く。するとはじめのページに「実家」について触れている。つまり一般的な家というのは、「素材や装飾は、縮小され、節約されて家族の落ち着いた部屋に利用される」、続いて「懐かしい家族、歴史的功績、民話、詩、劇、母なる大地の優しさを演出させる」そして「最後に我々が創造する家には二つの目的がある。一つは、丈夫で頑固(それにおいては成長し拡張する)二つめは芸術的条件によって代表的な厳格さを与えるものとして、実家は本当の子供が育つと言える。」と記している。ここでいう「本当の子供」とは「自然に適った子供」として理解する方がわかりやすい。
これはガウディの考えていたごく普通の実家のあり方であり、その空間に物語性を強調した優しさを建築に演出しようとしていたことが伺える。
ここで「ガウディの性格」を知る手がかりとして当時彼のところに出入りしていたセサール・マルティネールやホワン・ベルゴ達の会話集を覗く。
すると成熟した建築家としての考えから、さらにストイックな言葉も見え隠れする。それはサグラダ・ファミリア教会に従事したことから改宗されてのことではないのだろうかと考える人もいるほどである。 しかし学生時代から建築家となるまでに書き残された日誌で教会建築に関する詳しい考察が記されている事に着目する。するとガウディは、バイト先であった建築家ビジャールの下で進められていたモンセラーのベネディクト派修道院修復計画に関する予備知識を蓄えていた様子が伺える。
ここでガウディによる芸術についての考察にも注目する。
特に「物が非常に美しくあるためには、その形には余分な物があってはならず、素材は与えられる条件に役立つものとして理解できる」としている。この言葉は、さらに成熟したガウディの建築作品でも演出される。とすれば彼の美の真髄は、この一言に包括されるのではないだろうかと思えるようになる。
つまり「シンプルな形の美」または「ミニマムな形」は、ガウディ美学の真理とすることができるようになる。
まるで現代建築の概念に類似する。
しかもこの時代は19世紀末芸術運動が流行していた時期である。とすればガウディの思考ペクトルは当時の芸術運動とは逆の方向に向いていたということになる。
つまりガウディの存在が今までアールヌーボーまたはスペインのモデルニズモ派の芸術家としてみられてきたことが疑問となる。