久しぶりのサグラダ・ファミリア教会

サグラダ・ファミリア教会受難の門、またスビラックのメッセージが文字で現れている。最近のことだがこれってありかな。ガウディは文字の代わりに建築言語で表現していたわけだから表現手段がガウディから離れてしまっている気がしている。
それもアーティスト達の自由だというのなら場所を替えて好きなようにしたらと言いたい所である。それを許すサグラダ・ファミリア教会の心はなんだろうか。