ドラゴンの瞳1

今から40年前、私はこの街にガウディの残した作品があるということではじめて現地の作品を見学した。それからというもの自分の人生はくるいはじめた。むしろはじめから狂っていたという方が正解かもしれない。人によってはガウディのとりこになったというが、自分ではそうはおもっていない。正直なところ「作品の奥が知りたい」だけである。そんな自分を振り返ると確かにおかしな道を歩んできたような気がする。
日本最北の風来坊でしかもオホーツク海育ちが、いつのまにかスペインの国でスペイン語を話している。しかもこの街に住んでいる。「うんだ」の世界から「オーラ」の世界に変わったのだから不思議である。私が住んでいるカタルニア州というのは、スペインの中でもカタラン語を話す地方である。フランス語、ラテン語、スペイン語を混ぜ合わせたような言語である。残念なことに私はこのカタラン語を話さないが理解はできる。以前、ガウディに関するホワン・ベルゴスが1954年に執筆した「ガウディ、人と作品」という本をこのバルセロナで入手した。スペイン語(カステリャーノ語)だと思って中身をじっくり見始めるとカステリャーノ語(標準語のスペイン語)として読めない単語があることにきがついた。はじめはそれが何語かわからなかったのだから無理も無い。

バルセロナの街は、文化・芸術共に2000年以上の歴史を持っていることを誇りにしている。そのような文化の厚い国は、「うんだ」の世界からやってきた私には身分相応の生活の場になっていないような気もするが今のところなんとか持ちこたえている。

ここでの生活は、どうかって?
建築デザインや工業デザインをはじめとして翻訳やコーディネートなどで何とか生活を維持してきた。
この街が自分の肌に合うのかどうかは別としてガウディ建築の実測と作図に没頭して時間が経つのも忘れていた。

ここで骨を埋めるつもりか? と人から聞かれることもある。
私の返事はきまって「『地球という家』に住んでいるからどこにいても同じではないだろうか」と答える。むしろそれしかできない自分にむなしさと恥ずかしさを感じるが、反面、夢のような経験をさせてもらっている。